日本ファブテック 株式会社

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年表

東京鐵骨橋梁の100年のあゆみと世の中の動きを10年ピッチで紹介していきます。

1935年~1944年

1935年
(昭和10年)

11月

芝浦工場・第2工場(600坪)を建設しました。
受注量の増加に備え、工場設備改善と第2工場の上家増築に着手しました。

鐘淵紡績(現・クラシエホールディングス)・丸子工場、
明治製糖(現・大日本明治製糖)・士別工場、
青岩橋(岩手県)などを手掛ける。

■鐘淵紡績・丸子工場

建設中

完成

■明治製糖(現・大日本明治製糖)・士別工場

■青岩橋(岩手県)

【世の中の動き】

  • ・3月 ヒトラーがベルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言しました。
  • ・7月 船橋・千葉間の省線電化が完成し、東京-千葉間が全通しました。
  • ・7月 フランス人民戦線が結成されました。
  • ・10月 ナチス・ドイツが国際連盟を脱退しました。
  • ・11月 土讃本線・三縄-豊永間が開通しました。
    ※この開通で、「陸の孤島」といわれた高知県が鉄道で結ばれました。
▼この年はじまったもの
  • ・2月 ポリマー66(ナイロン)の開発
  • ・2月 築地市場
  • ・6月 富士通信機製造(後の「富士通」)
  • ・11月 日本でのモノポリーの発売
  • ・12月 東京電気化学工業(後の「TDK」)
  • ・12月 大阪野球倶楽部(後の「阪神タイガース」)
    ※六甲おろしが、この時から吹き始めたわけではありません。
1936年
(昭和11年)

3月

11月

芝浦工場・第2工場(上屋および走行クレーン)が完成しました。

芝浦工場・第1工場(700坪)の上屋建設に着手しました。

■芝浦工場(昭和10年代前半)

昭和肥料(現・昭和電工)・川崎工場第2合成工場、
芝浦製作所(現・東芝)・増築、
三井三池塗料工業所(現・三井化学)・V工場増築、小松川橋(東京府)などを手掛ける。

【世の中の動き】

  • ・2月 二・二六事件が勃発しました。
  • ・5月 阿部定事件が起きました。
  • ・7月 スペイン内戦が勃発しました。
  • ・8月 警視庁の赤バイが白バイになりました。
  • ・11月 東京・永田町に国会議事堂が落成しました。
  • ・12月 常磐線・上野駅-松戸駅間の運転が開始されました。
▼この年はじまったもの
  • ・1月 日劇ダンシングチームの公演
  • ・2月 全日本職業野球連盟
    ※日本初のプロスポーツリーグにして、現在の日本野球機構のルーツです。
  • ・2月 日本国内でのバレンタインデイ・チョコレートの広告
    ※この神戸の洋菓子店の戦略的販売促進活動により、今では日本独自の風習となって定着してしまいました。
  • ・3月 人工雪の製作
  • ・10月 天然色(カラー)のニュース映画
1937年
(昭和12年)
芝浦工場・第1工場の上屋および穿孔、罫線場上家、走行クレーンが完成しました。

生産量が月産1,300tを超えました。

■現寸作業(昭和初期)

台湾電極・北部発電所、自動車工業・鶴見工場、
東京電気(現・東芝)・川崎工場第45号館、
産業組合(現・農林中央金庫)・中央会館、日本化工・川崎工場、
日本化工・軽合金工場、芝浦八号地鋼鈑桁(東京市)などを手掛ける。

【世の中の動き】

  • ・1月 ハワード・ヒューズが米大陸横断飛行記録を樹立しました。
  • ・4月 スペイン内戦中、 ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを空襲しました。
  • ・5月 ドイツの飛行船・ヒンデンブルク号の爆発事故が起きました。
  • ・7月 アメリカの女性飛行家・アメリア・イアハートが西太平洋を飛行中に消息不明となりました。
  • ・11月 日本軍が上海を占領しました。
  • ・12月 日本軍が南京城を陥落し、中国の首都であった南京を占領しました。
▼この年はじまったもの
  • ・2月 松竹
  • ・3月 丸井
  • ・7月 玉造船所(後の「三井造船」)
  • ・8月 トヨタ自動車工業
  • ・9月 東宝映画
  • ・10月 日本通運
1938年
(昭和13年)

この年あたりから大口の鉄骨受注が激増し、工場は超多忙となりました。

東京瓦斯電気工業・川崎工場、東京瓦斯電気工業・立川工場、
小倉製鋼(現・新日鐵住金)・第2製鋼工場、
昭和飛行機工業・工場、九州共同火力発電所、
蛾眉橋(内務省)などを手掛ける。

■蛾眉橋(内務省)

【世の中の動き】

  • ・2月 ナチス・ドイツがオーストリアを併合しました。
  • ・5月 日本で国家総動員法が施行されました。
  • ・10月 日本軍が広東と武漢三鎮を占領しました。
  • ・10月 アメリカでオーソン・ウェルズ演出のSFドラマ「火星人来襲」が放送されました。
    ※本物のニュースと勘違いした120万人以上の人が大パニックに陥りました。
  • ・11月 ドイツでユダヤ人の迫害が始まりました。
▼この年はじまったもの
  • ・1月 福音商会電機製作所(後の「パイオニア」)
  • ・6月 不二家
  • ・7月 フォルクスワーゲン・ビートル
1939年
(昭和14年)
2月 特許第1号(溶接棒被膜剤)を申請しました。
4月

芝浦工場・第3工場(1300坪)の上屋建設に着手しました。

■朝の行事

三井鉱山(現・日本コークス)・石油合成三池工場、
中島飛行機製作所・太田工場、昭和電工・横浜アルミナ工場、
関東特殊製鋼、川越架道橋(東武鉄道)などを手掛ける。

■中島飛行機製作所・太田工場(手前は陸軍四式戦闘機疾風一型)

【世の中の動き】

  • ・1月 東京地下鉄: 新橋‐渋谷間が全通しました。
  • ・1月 双葉山の連勝記録が69勝で途絶えました。
  • ・5月 独伊軍事同盟が締結しました。
  • ・7月 日本軍がノモンハン攻撃を開始しました。
  • ・7月 日本で国民徴用令が公布されました。
  • ・9月 ナチス・ドイツ軍とスロバキア軍がポーランド侵攻を開始しました。
    ※これを発端として、第二次世界大戦が勃発しました。
▼この年はじまったもの
  • ・6月 昭和電工(日本電気工業と昭和肥料が合併)
  • ・7月 東京芝浦電気(後の「東芝」)
  • ・9月 大協石油(後の「コスモ石油」
1940年
(昭和15年)
8月

芝浦工場・第3工場の上屋、機械設備が完成しました。

中島飛行機製作所・太田工場(前年より継続)、日立製作所・水戸工場、

南武鉄道架道橋(内務省横浜土木出張所)などを手掛ける。

【世の中の動き】

  • ・4月 ドイツ軍がデンマーク王国・ノルウェー王国に侵攻しました。
  • ・5月 ドイツ軍がオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスの各国に対して侵攻を開始しました。
  • ・7月 ドイツ空軍によるイギリス本土の空襲が始まりました。
  • ・9月 フランスのラスコーで洞窟壁画が発見されました。
  • ・9月 日独伊(日本、ドイツ、イタリア)の三国軍事同盟が成立しました。
  • ・10月 アメリカのワシントンにあるタコマナローズ橋が強風により落橋しました。
▼この年はじまったもの
  • ・3月 内務省による芸能人の外国名・ふざけた芸名の禁止
    ※ミスワカナ、ディックミネ、藤原鎌足、平和ラッパ、あきれたぼういず、など。
  • ・4月 ヱスビー食品
  • ・8月 東京府による食堂・料理屋などでの米食の禁止
    ※ご飯を出すことを禁止したもので、「アメリカ(米)食」の禁止ではありません。

1941年
(昭和16年)

軍需工場の建設が多くなり、鉄骨工事の受注が急激に増加しました。

当社は、相模陸軍造兵廠の管理工場となりました。

■修養団講習会

中島飛行機製作所・太田工場(前々年より継続)、北海道人造石油、
利根川放水路鋼鈑桁(内務省・東京土木出張所)などを手掛ける。

【世の中の動き】

  • ・3月 治安維持法が全改正されました。
  • ・4月 ロンメル将軍のドイツ軍が北アフリカ戦線でイギリス軍を撃破しました。
  • ・5月 ドイツ海軍の戦艦ビスマルクが撃沈されました。
  • ・6月 ナチス・ドイツがソビエト連邦に対して攻撃を開始しました。
  • ・6月 パルチザンが組織され、ドイツ軍に対するゲリラ戦を開始しました。
  • ・12月 日本軍のマレー半島への上陸と真珠湾攻撃によって、太平洋戦争(大東亜戦争)の火ぶたが切って落とされました。
    ※太平洋戦争は、英米では「太平洋戦域」と呼ばれている第二次世界大戦のひとつの局面です。
▼この年はじまったもの
  • ・2月 プルトニウム の合成
    ※プルトニウムは冥王星(pluto)からの命名で、元素記号のPuは「糞」の俗語であるpooに通じるということで冗談で付けたものが採用されてしまったという稀有な例です。
  • ・5月 東京港の開港
  • ・7月 帝都高速度交通営団(東京地下鉄道と東京高速鉄道が合併)
  • ・7月 三井不動産
1942年
(昭和17年)
10月 代表者・清水一雄の辞任に伴い、清水康雄が代表者に就任しました。
12月

職制を改正し、営業部(営業係・経理係)、工務部(工作係・工事係)となりました。

石川島造船(現・IHI)・深川工場、中島飛行機製作所・半田工場、
中島飛行機製作所・宇都宮工場、江戸川橋梁補強(京成電鉄)などを手掛ける。

【世の中の動き】

  • ・1月 日本軍がマニラを占領しました。
  • ・5月 コレヒドール島の米軍が降伏し、日本軍は東南アジア全域を制覇しました。
  • ・6月 ミッドウェー海戦が起きました。
  • ・8月 アメリカでマンハッタン計画が開始されました。
  • ・11月 ドイツ軍がフランス本土を占領しました。
▼この年はじまったもの
  • ・1月 大日本映画(後の「大映」)
  • ・3月 東京での空襲警報発令
  • ・6月 アンネ・フランクの日記
  • ・12月 ウラン核分裂連鎖反応
1943年
(昭和18年)

資材不足により、材料の入手が困難となりました。

大阪鉄工所(現・日立造船)・神奈川工場、愛知時計・組立工場、
名古屋造船所(現・IHI)、日立製作所・蘇我工場などを手掛ける。

【世の中の動き】

  • ・2月 ガダルカナル島から日本軍が撤退しました。
  • ・7月 東京都制の施行により、東京府と東京市が統合されて東京都が誕生しました。
  • ・7月 イタリアのムッソリーニ総統が失脚しました。
  • ・9月 東京・上野動物園で、空襲時の逃亡を予防するため、象を含む25頭の猛獣と毒蛇の餌に毒を混入させて殺処分しました。
  • ・11月 神田・万世橋駅が営業を休止しました。
  • ・12月 アメリカで1929年以来の世界恐慌の終結が正式に宣言されました。
▼この年はじまったもの
  • ・1月 ペンタゴン
    ※建物の形から英語で五角形を意味する名前が付けられたアメリカ合衆国の国防総省本部庁舎です。
  • ・3月 「桃太郎の海鷲」の公開
    ※日本初となる国産の長編アニメ映画です。
  • ・5月 大王製紙
1944年
(昭和19年)
6月 受注量が低下し、生産量が減少しました。
9月 職制を改正し、総務部、工務部、生産部となりました。
12月

生産量が月産200t台にまで落ち込みました。

相模原陸軍造兵厰・上陸用舟艇、京浜線橋桁補強(東京急行電鉄)、
恵須取水陸棧橋改造(運輸通信省)、鋼鈑桁(華中鉄道)などを手掛ける。

■上陸用舟艇

製作中

完成

【世の中の動き】

  • ・1月 東京と名古屋で初の疎開命令が出されました。
  • ・6月 連合軍によるノルマンディー上陸作戦が発動されました。
  • ・7月 サイパン島で日本軍が全滅しました。
  • ・8月 ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで武装蜂起が起きました。
  • ・11月 アメリカ軍が東京を初めて空襲しました。
  • ・12月 東海道沖で東南海地震が発生し、軍需工場に大被害が出ました。
▼この年はじまったもの
  • ・3月 東京海上火災保険会社(東京海上・三菱海上火災・明治火災が合併)
  • ・6月 近畿日本鉄道(関西急行鉄道と南海鉄道が合併)

※「年表」の中の「エピソード」の記述は、当社に残っている過去の記録を元にしております。
また、当特設ページの掲載内容につきましては、複数の資料により整合性の確認をとっておりますが、万一、記述内容の間違いに気づかれた方は、当社総務部までご一報いただくようお願いいたします。
※特設サイトに掲載している建物の完成写真の多くは、清水建設株式会社から提供していただいたものです。

年表 1945年~1954年
※次の年表はこちら

『芝浦工場の第3工場が軍の管理工場となりました。この頃は作業員が10人ほどしかおらず、学徒動員で来ていた早稲田大学建築科の学生の手を借りて、上陸用舟艇を製造しました。』

『この頃になると、新規の受注工事は全然ありませんでした。また、作業員の多くを戦争にとられ、仕事を請け負うにも人数が足りませんでした。』

『軍需用の製品を作っていたので、初めのうちは鉄板の供給がありました。しかし、そのうちに供給が止まってしまいました。相模原の陸軍造兵廠に打合せに行って、「材料がありません」と言うと、「なんでもいいからやれ」と言われて困ってしまいました。』

『この当時は戦況の深刻化とともに、急速に資材が入手困難になってきました。』

『製造を急がされたので、中島飛行機製作所・半田工場の敷地内に鉄骨加工用の工場を造って、現場で製作を行いました。』

『毎朝、仕事にかかる前に、軍歌を歌ってから朝礼をしていました。』

『戦時体制により、工業設備関係の受注が増え、製作手持ち量が2万トンを超えるようになりました。また、納期の短縮を要望する工事が多くなりました。』

『この頃になると、「第2次統制会」というものが設立され、当社の扱う鉄材などは最も重要な資材として厳しく統制されるようになり、配給制度が敷かれるようになりました。』

『この年に受注した鉄骨工事は、船と飛行機の生産設備で、戦力増強のためのものばかりでした。』

『この年の1月の定期雇用者数は268人、臨時採用者数は14人でした。』

『大東亜戦争での応召が激しくなってきたのは、この頃でした。会社で働く仲間が、一時に5人くらいずつ、まとまって出征していきました。』

『中島飛行機は機密上の問題から実際の工事名を出せなかったので、「オノナ」と呼んでいました。その他に「ミノヒ」とか「ホノセ」、「セノヘ」といった具合に、戦争の真っ只中だったので面白い工事名が付けられたものです。』

『この年までは、常に10,000トンから20,000トンの手持ち生産量がありました。生産量も月に1,000トンから1,700トンでした。』

『第1工場、第2工場に続いて、第3工場の建設や設備拡充を行ったので、生産量そのものは増えました。しかし、それでも間に合わないほど、手持ち工事量が増えていきました。』

『この当時は日華事変の真っ最中で、若い者の多くは兵役に従事していたので、従業員は年輩者ばかりでした。そんな状況のなか、軍事産業関係の工事を昼夜兼業の二交代制で、突貫作業を繰り返していました。』

『中島飛行機製作所・太田工場は昭和14年に受注して完成までに2年半以上を要したものです。1社が請け負った鉄骨量としては、戦前の全期間を通じて最大のものでした。』

『当時の溶接棒の良いものは、ほとんど輸入品で値段も高いものでした。現在のように新日鐵住金や神戸製鋼のような大手メーカーは造っておらず、国産品は町工場が手工業で細々と造っていました。』

『この年から3年をかけて、中島飛行機製作所・太田工場の上屋の鉄骨(12,000トン)を製作しました。』

『この頃になると生産量が急速に増加し、当時の工場敷地では対応できなくなってきました。そこで、昭和8年の不況時に工場敷地を縮小して清水組の仮設材置場として提供していた土地を返してもらうことになりました。』

『この年の1月に芝浦工場長の谷井陽之助さんが辞任されて、後に社長になる遠藤孝之さんが後任の工場長に就任されました。』

『この年の生産量は、1月と3月を除いて、月産1,000トンを超えました。やっと不況以前の状態に戻ってきました。』

『この頃、修養団の活動(伊勢神宮、上野寛永寺での鍛錬など)を会社ぐるみで始めました。日本の社会教育活動は、この修養団から広がったものが多いといわれています。修養団が全国各地で実施した野外研修の朝礼時に行った体操は「国民体操」と呼ばれ、この国民体操がNHKのラジオ体操のもとになったという説もあります。』

■修養団就業前柔軟体操

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