日本ファブテック 株式会社

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第4回 旧(ふる)きもの、新しきもの

東京都第一本庁舎建設中の様子

今回は、この10年の間に手掛けたものの中で、のちに再び手掛けることになる有名な3つの構造物をご紹介いたします。

東京都第一本庁舎

さて、その1つ目は、「東京都庁舎」です。都庁といえば、ほとんどの人が新宿にある荘厳な建物を思い起こすでしょうが、ここに1990(平成2)年に移転するまで何処にあったのかを覚えている人は果たして何人いることでしょうか。

まだ東京都を東京府といっていた頃の1894(明治27)年から新宿に移転するまでの約100年間、その所在地は有楽町の駅前にありました。本館や分館などを合わせて10棟ほどが山手線を挟んで 分立しておりました。 


旧・東京都庁舎(丸の内庁舎)

<こぼれ話(1)>

現在、東京国際フォーラムのある場所は、かつて都庁第一本庁舎があった場所ですが、その昔の江戸時代には土佐藩邸があった場所でした。

かの坂本竜馬も一時期、この場所(土佐藩邸)で寝起きをしていたそうです。

東京都第一本庁舎1943(昭和18)年に東京都制が施行されて東京府と東京市を統合した形で東京都が設置されたわけですが、当社が後に「丸の内庁舎」と呼ばれる東京都庁舎の鉄骨工事を一手に請け負ったのは1953年(昭和28)のことでした。設計を手掛けたのは現在の都庁と同じく丹下健三氏で、建設当時は注目の的となり、同氏が手掛けた建築物の代表作となりました。

時代は移り、当社は1988(昭和63)年に東京都第一本庁舎の建物鉄骨(5,730t)を請負っていますが、これは全体鋼重が45,000tもある内の当社施工分ということになります。

<こぼれ話(2)>

年表の「エピソード」欄の「証言」にあるように、ビルの発注においてJV方式が取られるようになったのは1950年代からで、当社にとっては1953年(昭和28)に受注した東京駅八重洲口ビル(鉄道会館)の工事が初めてでした。

東京駅のランドマークであり大丸東京店が入っていたこの建物も数年前に解体され、その姿を消しました。当社と同じく2014年に開業100周年を迎える東京駅は、その節目を機に大きく変貌を遂げつつあります。


新都庁てっぺんで休憩中

江の島展望灯台

旧 江の島展望灯台2つ目として、ご紹介いたしますのは「江の島展望灯台」です。この展望灯台は、もとを辿れば、読売遊園(後の二子玉川園)のそばの多摩川べりに日本初のパラシュート訓練塔(読売落下傘塔)として1940(昭和15)年に建設されたものでした。当時、鋼材は軍の統制下にありましたが、軍事目的のものとして申請していたため特別に軍当局の許可が下りたといいます。戦争が終わり、1950(昭和25)年に江の島の植物園の中に平和塔(灯台兼展望塔)として移築されたのでした。

<こぼれ話(3)>

パラシュート訓練塔を発案したのは、巨人軍の創立者でもあった読売新聞社の正力松太郎社長でした。そして、灯台塔として移設して使用するという案は、当時、江ノ島電鉄の顧問をしておられた五島慶太東急グループ社長から出たといいます。

1951(昭和26)年3月に竣工し、2002(平成14)年12月まで江の島のシンボル・観光スポットとして活躍しました。現在の江の島展望灯台は、江ノ島電鉄開業100周年を記念して造られたものですが、この翌年の4月に開業しております。新しい展望灯台の高さは59.8mであり、それまであった展望灯台より約6m高くなっています。


江の島展望灯台(シーキャンドル)

<こぼれ話(4)>

現在の江の島展望灯台の形が逆円錐形となったのは、観光地のシンボルとしてインパクトのあるデザインが求められたということもありますが、江の島にある植物園が展望灯台の日陰となることを少なくするという目的もありました。

歌舞伎座

さて、最後に控えしは、2013年に建て替えられて話題になった歌舞伎座です。歌舞伎座が今の場所に初めて建てられたのは1889(明治22)年のことでした。悲劇的な運命を辿ることになるのは1922(大正11)年に着工した3代目の歌舞伎座で、まずは建造中に発生した関東大震災で被災し、そして1945(昭和20)年にはB29の空爆によって壊滅的な被害を蒙りました。しかし、2度にわたる悲運に苛まれながらも、奇跡的に残った外壁に在りし日の姿が留められていたといいます。

当社はアメリカ軍占領下の資材統制による材料不足の中、歌舞伎座の復旧工事に携わりました。その折り、どういうわけかアメリカ軍から25tトレーラーで鋼材が支給されたという記録が残っています。運搬手段の主流がまだ馬車などであった時代でしたから、そのインパクトはとても大きかったようです。


歌舞伎座(4代目)

<こぼれ話(5)>

1946(昭和21)年に公布された建築制限令により、営利を目的とする劇場の新築は認められていませんでした。また、歌舞伎座はGHQから軍国主義を招いた封建制の象徴と見なされておりました。しかし、戦前に歌舞伎座に通い詰めていたバワーズ少佐の尽力によって特別に建設許可が下り、復旧工事が行われることになったのでした。

松竹(株)・(株)歌舞伎座60年有余年の歳月を経て2011(平成23)年に建て替えられることになった5代目の歌舞伎座ですが、当社は4代目に続いて携わる機会を得ました。 新しくお目見えした5代目は、旧(ふる)い文化と伝承を今に伝える「歌舞伎座」と、超高層オフィスビル(地上29階建て・高さ145m)の「歌舞伎座タワー」からなる複合施設「GINZA KABUKIZA」として、現代に蘇ったのでした。

この建物こそ、今回のタイトルを地でいく「旧きもの」と「新しきもの」が一体となった建物といえましょう。

年表 1945年~1954年
※この頃の年表はこちら

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