日本ファブテック 株式会社

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第8回 ちょっと柔らかい話

2014年8月8日に開催された「創業100周年を祝う会」でも「福引抽選会(ビンゴ大会)」が行われました。

その① ロケの舞台裏

今回は、"世界の北野"こと北野武氏の初監督作品『その男、凶暴につき』のロケに旧芝浦本社ビル(6階建のもの)が使われた話を書く予定でした。しかし、このエピソードは『100年史ダイジェスト版』に、掲載してしまいましたので、ここではその「こぼれ話」だけをご紹介します。
詳しくは、『100年史ダイジェスト版』第8章23ページの「Episode」をご覧ください。

 

<こぼれ話(1)>

『その男、凶暴につき』は、その企画段階では深作欣二氏が監督をする予定でしたが、スケジュールの都合で深作氏が監督を降りたため、主演を務める北野武氏に監督の話が舞い込んだのだそうです。

<こぼれ話(2)>

公開されたのは、1989(平成元)年の8月でした。

当時、ビートたけし(北野武)氏がレギュラーを務めていたバラエティ番組「オレたちひょうきん族」の最終回が映画の公開直後に放映されるということもあって、その名物コーナーである「タケちゃんマン」で『その男、凶暴につき』のパロディをやることになりました。

<こぼれ話(3)>

この映画の脚本を書いた野沢尚氏は、北野武氏の手によって自分の脚本が大幅に書き直されたことをこころよく思っていませんでした。そのため、野沢氏は亡くなる直前に映画のオリジナルシナリオを元にした長編小説『烈火の月』を出版して自分なりの決着をつけました。まさに「死んでも死に切れない」という思いがあったのでしょう。

<こぼれ話(4)>

1980(昭和55)年の「社員・家族慰安会」に当時の漫才ブームで人気絶頂期にあったツービートに出演してもらいました。

そんな忙しい時期であったにもかかわらず、当社の慰安会に出演したことを北野武氏が覚えていてロケの舞台に使ってくれた、なんていうのは考え過ぎでしょうか・・・。

その② 慰安会の思い出

会社で「社員家族慰安会」を主催していたのは、1966年から2000年の間のことでした。福利厚生の一環として、バス旅行にはじまって、運動会や観劇会・演芸会・歌謡ショーなど、社員と家族が一緒に楽しめる憩いの場を提供するという目的で始められました。

開催年 月日 開催場所 開催内容
1966(昭和41)年 4.29 千葉県鋸山 (バス旅行)
1967(昭和42)年 4.29 豊島園 (運動会)
1968(昭和43)年 4.21 品川公会堂 歌謡ショー:大月みやこ、小暮あきら、まりも姉妹、藤堂輝明
落語:林家三平
漫才:東京二・東京太
体技:山口トリオ
1969(昭和44)年 4.27 船橋ヘルスセンター 観劇:大江戸評判記(出演者)平凡太郎、玉川良一
入浴および遊戯施設利用券支給
懇親会:社員かくし芸大会、福引抽選会
1970(昭和45)年 4.29 久保講堂 歌謡ショー:藤圭子、関城一也、岬えり
落語:柳亭痴楽、漫才:丸の内権左・助十
曲芸:翁家勝子
歌謡漫談:小島宏之とダンナブラザーズ
1971(昭和46)年 4.29 八王子サマーランド 観劇:フラダンスショー
遊戯施設・プール利用券支給、懇親会、抽選会
1972(昭和47)年 5.14 よみうりホール 歌謡ショー:安倍律子、高山船太郎、真木洋介、志木明子
歌謡コント:ロマンスガール
漫才:大空ひろし・大空みつる
1973(昭和48)年 4.29 松戸市民会館 歌謡ショー:野路由起子、安藤稔子、陣ヶ峰浩一
漫才:星セント・星ルイス
声帯模写:桜井長一郎
コミック奇術:東京コミック
1974(昭和49)年 7.14 よみうりホール 歌謡ショー:夏木マリ(急病欠演)、平山美紀、八坂京子、船瀬功二
サルの曲芸:モンキー三平
ギター漫談:三門マリ子(泉ピン子)
医学漫談:ケーシー高峰
1975(昭和50)年 5.11 取手工場グランド (運動会・工場見学)
1976(昭和51)年 4.29 取手工場グランド (運動会)
1977(昭和52)年 4.29 千代田公会堂 歌謡ショー:子門真人、波京子、森本アキ
漫談:牧伸二
キセル漫談:ひびきわたる
ロマンチックギター:伊藤日出夫
コミックバンド:コミックジャック
1978(昭和53)年 4.29 取手工場グランド (運動会)
1979(昭和54)年 5.05 よみうりホール 歌謡ショー:牧村三枝子、平賀香津子
漫談:タモリ
ぬいぐるみ人形劇:赤ずきん(ワンワン座)
コーラス:鶴岡雅義と東京ロマンチカ
1980(昭和55)年 5.11 九段会館 歌謡ショー:由紀さおりショー、他
日本民謡・民踊:西崎緑江 一行、秋湖太郎
漫才:ツービート
ぬいぐるみ人形劇:大工と鬼(パンダ劇団)
1981(昭和56)年 5.24 よみうりホール 歌謡ショー:川中美幸、江河愛司
漫才:獅子てんや・瀬戸わんや
コミックコント:橋達也と笑いの園
コーラス:敏いとうとハッピー&ブルー
1982(昭和57)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:森昌子、目黒譲二
コント:ラッキーセブン
漫才:昭和のいる・こいる
童謡:音羽ゆりかご会
1983(昭和58)年 4.29 九段会館 歌謡ショー:三沢あけみショー、都々木淳
コミックコント:ユートピアピース・ホープ
コーラスバンド:ありがたやGIRL
1984(昭和59)年 4.29 九段会館 歌謡ショー:小林幸子、みづきあい
コント:コント・レオナルド
漫才:春風ころ太・ふくた
1985(昭和60)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:内山田洋とクールファイブ、大月久美子
マジックショー:ドルフィン
1986(昭和61)年 7.13 九段会館 歌謡ショー:松原のぶえ
コント:コント赤信号
1987(昭和62)年 4.29 九段会館 歌謡ショー:村上幸子、水島達矢
漫才:おぼん・こぼん
子供ショー:ゲゲゲの鬼太郎
1988(昭和63)年 5.03 よみうりホール 歌謡ショー:大月みやこ、浜淳一郎
コント:山口君と竹田君
1989(平成元)年 4.30 九段会館 歌謡ショー:大川栄作、キム・ヨンジャ
子供ショー:霊幻道士キョンシー
1990(平成2)年 4.30 よみうりホール 歌謡ショー:三條正人、内田あかり
コミックショー:爆笑3人娘「だるま食堂」
子供ショー:地球戦隊ファイブマン
1991(平成3)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:チョー・ヨンピル
子供ショー:それいけ!アンパンマン!
1992(平成4)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:マルシア
子供ショー:魔法使いサリーⅡ
1993(平成5)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:原田悠理、西方裕之
子供ショー:ドラゴンボールZ
1994(平成6)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:小野由紀子
子供ショー:クレヨンしんちゃんショー
1995(平成7)年 4.29 よみうりホール 歌謡ショー:森若里子、唐木淳
子供ショー:セーラームーンS
1996(平成8)年 4.27 よみうりホール 歌謡ショー:長山洋子
子供ショー:忍たま乱太郎
1997(平成9)年 4.26 よみうりホール 歌謡ショー:田川寿美
子供ショー:キューティーハニー
1998(平成10)年 4.25 よみうりホール

歌謡ショー:神野美伽
子供ショー:ちびまる子ちゃん

1999(平成11)年 4.24 日本青年館 歌謡ショー:伍代夏子の歌謡ショー
漫談および進行:綾小路きみまろ、マジックショー
2000(平成12)年 4.29 よみうりホール

歌謡ショー:西川峰子
マジックショー:マギー司郎
漫談:綾小路きみまろ


運動会スナップ


社員家族慰安会

<こぼれ話(5)>

時代は移ろい、世の中の変化とともに人々の楽しみ方にも変化が生じるようになりました。2001年以降は「社員家族慰安会」という集まりはなくなり、福利厚生の見直しが計られました。

会社は「新しい形でのレクリエーション」を実施することとなり、社員のそれぞれが好きなレクリエーションを選んで家族単位で参加する時代となったのです。

<こぼれ話(6)>

1968年に出演した林家三平師匠は、当時人気絶頂の落語家さんでした。1980年に54歳の若さで亡くなりますが、"昭和の爆笑王″の名で現在でも多くに人々の記憶に残っています。

なお、今は次男の一平さんが二代目を襲名しているので、正式には「初代三平」となります。

<こぼれ話(7)>

1970年に出演した藤圭子さんは、その前年に「新宿の女」でデビュー。当社の慰安会に出演する4日前に発売された「圭子の夢は夜ひらく」は、オリコンで10週連続1位を獲得する大ヒットを遂げました。さらに、この年に設けられた「日本歌謡大賞」の大賞を受賞し、瞬く間に歌謡界の大スターとなります。「後日、慰安会を仕切ってくれた芸能プロダクションの人から『藤圭子、いい時に呼びましたね。今ではスケジュールも一年以上先まで空いていないし、ギャラもウン十倍になっていますよ』と言われたよ」、と当時を知る関係者は懐かしげに語っています。

今では「宇多田ヒカルの母親」と言った方が若い人にはわかってもらえる彼女でしたが、波乱万丈の62年の人生を自ら2013年8月に閉じました。

<こぼれ話(8)>

後年の「社員家族慰安会」は会場を借りて、そこに芸能プロダクションの仲立ちで歌手や芸人を招いて開催していました。もちろん、それはそれで盛り上がるのですが、実は最も熱狂するのは「社員のど自慢ショー」や「福引抽選会」であったように思います。自分の知っている人が「のど自慢」に出たら盛大な拍手で応援しますし、「福引」の賞品もよいものが用意されていて、その当たり外れに一喜一憂したものです。

だいたい毎回1,000名前後の参加者があり、工場や工場の最寄駅などからバスによる送迎があり、昼食やお菓子なども配布されていました。しかも、遠方から参加する支店・営業所の社員とその家族の交通費も会社が負担してくれました。
2014年8月8日に開催された「創業100周年を祝う会」でも同様のことが行われました。

<こぼれ話(9)>

1973年に出演した星セント・星ルイスさんは、その後、1977年のNHK漫才コンクールでツービートなどの強敵を抑えて優勝を果たし、1980年には「田園調布に家が建つ」のギャグで一世を風靡することになります。

星セントさんの師匠は1981年に出演した獅子てんや・瀬戸わんやさんで、B21スペシャルのミスターちんさんが弟子です。そして、奥さんは当社の元女子社員でした。この慰安会で知り合ったのでしょうか。

コンビ結成は1971年で、2003年にコンビを解散します。セントさんは、その翌年に56歳の若さで亡くなりました。さらに、その翌年には相方の星ルイスさんも亡くなってしまいます。死因は相方と同じ肺がんで、亡くなったのもセントさんと同じような年齢(57歳)でした。

<こぼれ話(10)>

1974年に出演した三門マリ子こと泉ピン子さんは、漫談家として17歳でデビューします。1977年に出演した"ウクレレ漫談"の牧伸二さんがピン子さんの師匠です。"ギター漫談"で名の知れた方といえば南洲太郎さん、堺すすむさん、波田陽区さんといったところでしょうか。ちなみに泉ピン子さんは3コードしかギターが弾けなかったそうです。
彼女は、慰安会出演の翌年に「テレビ三面記事ウィークエンダー」という人気番組のレポーター役に抜擢されたのを機に、三門マリ子という芸名から泉ピン子という名に改めました。その後、森繁久彌さんから「お前は役者で食える 。芸人はやめて女優一本でいけ」と言われて、ピン子さんは33歳のときにドラマの主役に初めて抜擢されたのを機に女優に転じることになります。

<こぼれ話(11)>

1977年に出演した子門真人さんは、1975年末に発売した「およげ!たいやきくん」で売れっ子歌手の仲間入りをしたばかりでした。「およげ!たいやきくん」は、オリコン史上初のシングルチャート初登場から11週連続で1位となった歌で、そのレコード・CDの販売枚数は現在までに500万枚以上ともいわれており、ギネスブックに「日本で最も売れたシングル」として掲載されています。

子門さんは、契約にあたって売上げに応じた歌唱印税方式ではなく買い取り方式を選択したために、5万円の吹込料だけしかもらっていないそうです。ところが、思いがけないほどの大ヒットとなったため、申し訳なく思ったレコード会社から子門さんにヒット記念として「100万円と白いギターが1本」が贈られたそうです。

<こぼれ話(12)>

1979年に出演したタモリさんは、1976年4月に現在のテレビ東京系列の深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で29歳にして遅咲きの芸能界デビューを飾りました。社員家族慰安会に出演してもらった当時は、世間的には"密室芸人"あるいは"キワモノ芸人"として知られていたのではないでしょうか。

この3年後の1982年に始まった『森田一義アワー笑っていいとも』(2014年3月終了)のヒットで、全国的な人気を得ていくことになります。

<こぼれ話(13)>

話は一気に20年ほど進みます。1999年に出演した綾小路きみまろさんは、そのときに本人から聞いた話では、森進一さんや小林幸子さんなどのコンサートの司会者を長らく務めていたということでした。当社の社員・家族慰安会には、この年に杉良太郎さんと結婚することになる伍代夏子さんの歌の進行役としての登場。漫談を挟みながらの司会進行で、客席は爆笑の渦に包まれました。特に当時の当社の社長夫人に大受けで、その場で翌年は単独で呼ぶことに決まりました。後にも先にも2年続けて出演してもらったのは、きみまろさんだけです。

2002年にCDで発売された『爆笑スーパーライブ第1弾!中高年に愛をこめて...』が爆発的に売れて、「潜伏期間30年」の末に世間に認知されてブレイクを果たしました。

最近になってから、本人はヘアピースといっているカツラの着用をカミングアウトしているようですが、2000年当時にもらった色紙に張ってある本人のプロマイド写真は帽子(ヘアピース)を被っていないものでした。

その③ こぼれ話いろいろ

  • (1)ロケといえば、芝浦の現在の本店のそばの運河沿いでは、『西部警察』や『太陽にほえろ!』などのロケをやっていたという話を聞いたことがあります。
  • (2)最近亡くなった藤圭子さんを初めとして、当社の社員・家族慰安会には世間に名を知られる前の演歌歌手や芸人を呼んだので、「うちで呼んだ芸能人は必ず売れる」という自慢話(?)をよく聞きました。
  • (3)芝浦に工場があった今から50年以上前のことになりますが、「会社のお昼休みに桂米丸さんに何回か来てもらって落語をやってもらった」ことがあるそうです。
  • (4)そのむかし(昭和50年代)、上半身裸でショートパンツの出で立ちで、たすきを掛けて「わっはっは」と笑って寄付金要請に会社にやってくるオジサンがいました。
  • (5)昔(昭和30年代?)は、初出の日に「年賀の品」として栄太郎飴とお年玉(500円札が一枚同封)を社員一人ひとりに手渡していたそうです。
  • (6)同じころ、社員の子供が小・中学校に進学した折りにはランドセルや万年筆が会社からお祝いとして渡されていたそうです。

年表 1985年~1994年
※この頃の年表はこちら

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